皆さんは、最近、SNSなどを見ていて頭が痛くなることはないだろうか?
不特定多数の人々が、多くは匿名で自分の意見や体験を自由に発信するSNS。
Twitterの魅力に引きつけられた人々
例えば、個人と個人を繋ぐささやかなコミュニケーションツールとして誕生したTwitterは2022年にイーロン・マスク氏に買収されXと名前を変えた。買収の目的は、海外メディアによれば、表向きはTwitterの運営方針に不満があったから、とされている。ソーシャルメディアとしての”言論の自由”と”民主主義”が徹底されていないから、というのがマスク氏の言い分であったようだ。
話が飛んで難しくなってしまったが、TwitterがXに変わった時、筆者はTwitterを止める機会だと考えて退会した。もともとフォロワーも少なかったこともあったが、私のようなものでも詩を載せると「いいね」を押してくれる見ず知らずの方もいて、残念と言えば言えなくもなかった。
それがなぜ、止める決心に至ったかというと、その頃には既に、Twitter本来の居心地の良さが失われて、政治活動家の画策などが目立つようになってきたからである。
その発言の多くは、自分の支持する政党に、何が何でも味方を増やしたいという意図が強く感じられた。酷いものでは、他の政党の真偽のわからない密告やニュースをセンセーショナルに騒ぎ立てるような投稿まであった。
象徴的な事件として、政府関係者に雇われたと思われる人物が、特定の権力者に有利なコメントを書き込んでいたという疑惑が持ち上がった。
映画「新聞記者」がヒットしたこともあり、総務省が関係しているのではないか?との噂も浮上したが、総務省は正式に関与を否定、真相は有耶無耶にされて、今では忘れ去られている。
このような不特定多数のネット社会の状況が”頭が痛くなった”原因であることは間違いない。真偽がわからないことほど、人の心を不安定にさせるものはない、のではないだろうか?
陰謀論だと断定する人たちもいるが、少なくとも、一人でも唐突に詳細不明の死人が出た場合は、噂が真実味を帯びてくる。もともと国民同士のSNSで、そのような現象は起きていなかったからである。
原因はおよそ推測できる。Twitterの草の根の見解の拡散力は、国の体制を揺るがすほどの威力を秘めていたことに政治家たちが気づいてしまったからだ。
TwitterなどのSNSを健全な政治活動家が使うぶんには問題がないが、政治の世界で”健全”でいられる人は希少だと推測できる。
政治家がSNSで躍進した例は、2008年のアメリカ大統領選挙でのオバマ候補にまで遡る。
ITの世界ではWeb2.0と言われ、当時、何が画期的だったかというと、Yahooが台頭してきた頃の検索結果の上位は、知名度、すなわち大手企業などに勝ち目はなかったが、Googleの登場で、世界の隅々の草の根の中から、多種多様な検索者の欲求にマッチしたものを上位表示するようになったのである。
オバマ大統領は、この草の根の支援に支えられて当選した、アメリカ合衆国初の黒人大統領であった。ここまではSNS本来の特性を活かした健全な兆しであったと言えるだろう。
日本では公職選挙法142条のため、選挙期間中のインターネット利用を認めていないが、2005年小泉政権下、衆議院選挙への国民の関心上昇を機に、その後の政局でもネットを通じて国民が議論するようになった。
2009年にはアメリカから遅れること1年、日本でもTwitterが主要な国民議論の最前線として注目されるようになったのである。
参考・引用:「Twitter政治」は民主主義を増進するか,庄司昌彦,intelplace, #115, 2010
このように日本でもTwitterに各政党支持者たちが参入し、約12年後の2022年の時点では、もう筆者たちが当初に感じていたTwitter本来の存在意義は失われ、権威側の道具に汚染されてしまったようにさえ見えた。そんな状況に見切りをつけた人々は、マスク氏への批判とともに、時を同じくして登場したthreadsに避難した。当初は英語だけで使いにくかったが、今は多くの言語に対応しているようで、筆者も以後、Twitterの代替として利用している。
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